マラドーナ

私がサッカー観戦に傾倒したのは、ご多分に漏れず『キャプテン翼』の影響だけれど、お気に入り登場人物の関連アイテム集めまくりor同人誌ではなく(ちなみに「やおい
が一般に台頭したのはこの作品から)、BS衛星アンテナ&ビデオデッキを購入してワールドカップ観戦の方向に行ってしまい、'86年のW杯で気に入ったブルーノ・コンティ(伊代表)を「生で見たい!」と、(親の反対を押し切って)大学3年の春休みに海外サッカー観戦に出かけた。

当時は「海外サッカー観戦ツアー」なる便利な旅行パッケージもなく、またインターネットも未だ存在しない時代。故に海外サッカーのリーグ戦等のスケジュールも知る由もなかったので、サッカー雑誌の編集部に返信用封筒を同封し手紙を書いて、リーグ戦(セリエA)のスケジュール表のコピーを送っていただいた。(その節はお世話になりましたm(_ _)m)

リーグ戦は日曜に開催されていたので、ツアーでは全ての試合を観ることは不可能と自由旅行(往復航空券+初日のホテル)で手配。念のため英語圏のイギリスから入国したんだけれど、学校教育の英語が如何に役に立たないか(聞き取れない&喋れない)を思い知る結果にw

何とか西ドイツまで移動し、ミュンヘンのYHの食堂で「サッカー好きな日本人って君?」と話しかけてきた日本人大学生2人組と、2月28日(土)にブンデスリーガバイエルン・ミュンヘン)の試合を観に行ったのが海外初観戦。持参していたセリエAの試合予定表を見て翌3月1日(日)のユヴェントスフィオレンティーナ戦を観に行こうという話になり、夜行でトリノまで移動。これがセリエA初観戦。
彼等とはここで別れて後は一人で。この旅行で観戦したのは以下の5試合↓

1987年2月28日(土)ブンデスリーガ
バイエルン・ミュンヘンフォルトゥナ・デュッセルドルフ(於ミュンヘン・オリンピック)
西ドイツ代表勢揃いのバイエルンディーター・ヘーネス(当時の西独代表)のいるデュッセルドルフ

3月1日(日)セリエA
ユヴェントスフィオレンティーナ 1-0(於トリノ・コムナーレ)
現役ラストシーズンのミシェル・プラティニ(当時の仏代表主将)vs伊代表のゲームメーカー・アントニョーニやJリーグ初代得点王ラモン・ディアスのいたフィオレンティーナ。ゴール裏席だったので、横断幕を広げるのを手伝ったり、爆竹の煙で試合開始後一時見えなかったり、応援歌(やcoro)もたくさん聞けて楽しいことこの上なかった(^^

3月8日(日)セリエA
ローマ-トリノ?(於ローマ・オリンピコ
コンティ初観戦! 周囲の地元ロマニスタに珍しがられ歓待される

3月15日(日)セリエA
ナポリ-ローマ 0-0(於ナポリ・サンパオロ)
その時点でのセリエA 1位2位対決! マラドーナvsローマ!!
大観衆80,250人の中で観戦。ナポリの喧騒とマラドーナの凄さと、終列車に乗り損なって真っ青になったのと。後日テレ東の「三菱ダイヤモンドサッカー」にて放映

3月22日(日)セリエA
ローマ-エンポリ(於ローマ・オリンピコ
前回と同じロマニスタの方々と再会。その中のおじさんに「先週もナポリの列車内で会ったのに、知らん顔して行っちゃったね」と言われて「御免なさい(^^;」状態。ローマ人の好奇心の強さと記憶力の良さには脱帽。

ローマに到着した翌日にわざわざナポリまで15日の試合のチケットを買いに行ったけれど既に売り切れ。どこかのバールでダフ屋のおっちゃんに「この辺(中央付近)の席が欲しい」と図を書いて、当時のレートで1万円以上支払って入手したことを覚えている。当日はローマからの日帰り(まだFreccia(伊の新幹線)はなかったので特急で片道3時間半の距離)。ナポリ中央駅からバスに乗ると、スタジアムに行くファンの車の大渋滞に巻き込まれ、クラクションを鳴らして大騒ぎするのを目の当たりに。大観客にも驚いたし、試合も0-0ながら見どころが随所にあり、「マラドーナは凄いけどローマ頑張れ!」と、暖かな日差しの下で試合を大いに楽しんだ記憶が。

 でも一番記憶に残っているのは試合後。
ナポリ中央駅に着くと日本人の一人旅の男子大学生に話しかけられ、「こっちに来てからマクドナルドしか食べていない」(ありがち)と言うので、駅構内のお食事処で一緒に夕食を食べホームに戻ると、ローマ・テルミニ駅行きの列車は既に満席。「3時間以上も立っているのは辛いなぁ」と考えあぐねているうちに列車は発車してしまった。

「次の列車は何時かな?」と時刻表を見ると…もう「ない」orz
真っ青になってホームにいた駅員さんに「今日中にローマに戻りたい」(自分でも何語で言ったのか覚えていない)と必死で尋ねると…これは未だに謎なんだけれど、駅員氏は伊語オンリー、私は伊語なんか当時さっぱり。相手の言うことなど理解できるはずもないのに、何故か「ローマ・オスティエンセ駅を通る列車があるから、そこから地下鉄でテルミニ駅まで帰りなさい」と言っているように聞こえ、夜中にはなったけれど言われた通りに無事ホテルに戻れたのでした。

私にとってはこの強烈な思い出と共にマラドーナ観戦の記憶がある。
私生活はいただけなかったけれどリアル大空翼(漫画)な異次元の選手でした。ナポリ市民もさぞや落胆していることだろう。ご冥福をお祈りします。

当時の写真は大昔のブログに上げた筈だけど、また後日↓に。
まぁ初めての海外でこれだけ「やらかす」と、次も「何とかなるさ」と自由旅行になってかれこれ30余年。良かったのか悪かったのか…(^^;